おとなの遠足 in 栃木      


 
 益子 陶芸奮戦記
 

陶芸メッセにいた狸  初秋、たまにはドライブにでも行こうという話になったホセとハドラー。GT戦線の谷間を狙い日程だけが先に決まると自然と開催中の競馬場(他に上山・金沢)の中から目的地は宇都宮近辺へと定まった。当初ハドラーは日帰りのつもりでプランを練っていたが「それじゃドライバーのオレが酒飲めねぇだろうが」とホセから辛辣な苦情を受け路線変更。1日だけなら馬&グルメで万事OKなのだが2日間となるとマトモな予定を組まねばパーティーが興ざめしてしまう。日光や鬼怒川、那須塩原など紅葉も見頃な行楽地まで行くのは遠くて面倒、そこで浮上してきたのが宇都宮から1時間ほどの距離の、陶芸は益子焼の里・益子だった。図らずも『ましこ』という響きにハドラーの胸が必要以上に高鳴っていたことは言うまでもない。

 県道を右往左往し益子に着くも予約した15時まではまだ余裕があったので街を探索することに。街の中心部にて数ある窯元が共同で作品の展示・販売をしている益子焼窯元共販センターとやらを見つけた。入口にあった上の写真の狸は結構有名?こんなものを次々に見せ付けられると一気にオヤジ化が加速していくような気分にもなったが実際におっさん2人だったから違和感がないところが哀しい。めげずにソフトクリームを食らう。時間が迫ってきたので堂々と、されどどこか緊張気味に窯元よこやま入りを果たした。

陶芸の魅力にドップリ  ホセとハドラーが工房の中に足を踏み入れた時、ちょうど前の時間の団体客が作業を終えようとしているところだった。ギャーギャー騒ぐおっさんの手元から出来かけの器が見る見るうちに形を変え崩れ去っていく様を見てほくそ笑んでいたが「1時間後、今度はオレらが同じようにあっちにいるんだぜ」と最もそうに顔を見合わせ頷く2人。そしてその時はやってきた。手ひねりではなく電動ろくろを使うコースなので手元の速度調節レバーに合わせて土台は自動でくるくる回る。ひと通り説明を受けると持ち場に配置されすぐさま実戦へと移ることに。初期段階として器作りのベースとなる粘土の設置まではスタッフがやってくれる(上写真の形)。ここから中心に親指を突っ込み自らが作りたいモノの深さになるところまで徐々にじっくりじっくり穴を開けていくことになる。実際現地に赴くまでは、途中で飽きて最後は絶対粘土投げ合戦(or 作品の潰し合い)になるものとばかり決め付けていたのだがやり始めると他のことが何も気にならなくなるほど堪らなく面白かった。自らの指の力の入れ具合によって器は歪になったり細くなったり都度繊細にその姿を変えてゆく。この写真を掲載したのは左下にしっかりタライが映っていたからである。ここに集められたダメ粘土はすべてハドラーの失敗作。おそらくホセは何ひとつクズを出さなかったと思われるのにハドラーのものは次から次へとスタッフに糸で削られ処分されていった。不器用で大雑把なホセに笑われたのが何とも珍妙だったが粘土使い放題だったことが幸いだった。数チャレンジしたがどう行脚しても最大目標であるビアタンブラーの理想の形には一向に近づく気配がない。そこでちょくちょく指導をしてくれていたスタッフを次々に呼び止め手を入れてもらう最終手段に出たハドラー。そしてようやく完成したマイビアタンブラーがこれ(一番右)である。というかこれに関しては自身一切ノータッチなのが真に面目ないところ。この滑らかな反りを表現するのがどれだけ難しいことか。ともあれ苦節40分ほどで作り上げ生き残った作品は全部でこの6つ。奥にはホセの作品も若干だが写っている。左から2番目は一体何なんだ、という話だがビアタンを作っていたらどんどん肥大化していきこんな形になってしまった。おそらく500mlはすっぽり入りそうで、花瓶と言った方が納得できるかもしれない。左から湯呑み、ビアタン、茶碗、ぐい飲み、ビアタン、皿のつもりである。「作った作品から最低3つは焼き上げていただきます」というルールがあったのだがどれも自分のムスコのようで潰すのに忍びないので6つすべて焼いてもらうことに決めた。大きければ大きいほどコストはかかるわけでここでまた花瓶が足を引っ張ることとなった(1800円)。これが焼き上がり色を塗られて配送されるまで40〜60日余り、プロにより加えられるこんな模様がまた楽しみに思えたりもする。結局6作で8700円ほど(ホセは4作で7000円前後)もかかったが本当にいい体験が出来たと至極満足気の2人だった。出来あがりはちょうど年末年始のシーズン、ぜひ益子焼グッズと共に新年を祝おうぞ。

 世界遺産、すすきの、乗馬、陶芸ときて次なるターゲットはそば打ちかなとおとなの遠足は尽きることなく進んでいく。

 


 
 グルメリポート in 栃木
 

佐野ラーメン・岡崎麺  今回の栃木路遠征を食い物を通じて辿っていこう。八王子から中央道、東京外環を経由し東北自動車道を北に進むこと2時間半、まず訪れたのは佐野だった。佐野と言えば佐野ラーメン(しか知らない)だが到着したのはちょうど店が開き始める11時。手にしていたMAPのミスに惑わされながらも佐野市街をグルグル回り、まずは1軒目の赤見屋本店に入る。スープは特に悪くないのだが麺がなんとも言えず旨くない。小麦粉をダイレクトで胃に入れているようですぐ満腹になってしまった。しかし懲りずに当初から計画していたラーメン店のハシゴをすることに。次に向かったのは岡崎麺だ。店内には芸能人のサインが多々飾られ、こちらの方が味がしっかり染み込んでいて多少納得できる味だったが如何せん1杯目のダメージがボディーブローのように効いてきて今にも箸が止まりそうな勢いに。なんとか食べ終えたもののリバース寸前の状態に陥っていた。見たところ佐野ラーメンは青竹手打ちの縮れ麺が売りのようだがその自慢の手打ち平麺がいけないのではないか、と思わざるを得なかった。その疑いの眼差しは翌日しっかりと立証されることとなる。佐野からの去り際、おそらく地元の一番人気と思われるこんな行列のできた店・とかの(車中から通りすがりに撮影)もあったのだが時間がなかったので諦めることに。実に残念である。まあそうは言ってもすでに胃は何物も受けつける気がなかったようだが。

 腹ごしらえを終えた2人は北関東自動車道を抜け一路益子へと向かった。本来なら下を進み大平山の紅葉と栃木市街の蔵屋敷をも観て回りたかったところだが致し方ない。上述の陶芸を終えた2人は達成感に浸りつつ宿入り前にひとっ風呂浴びようと益子から宇都宮駅を挟んでちょうど正反対の位置にある立ち寄り湯・ろまんちっく温泉を目指した。途中、ホセ発っての願いでド田舎の片隅にある真岡鉄道は西田井駅に足を伸ばす。無人駅で意外にもホセの恋話に聞き入りしばし心が洗われるひと時を過ごす。この頃にはもう陽が落ち辺りはすっかり暗闇に包まれていた。というか、車のライト以外に光がない。

 国道を突き進むこと1時間半余り、ようやくたどり着いた温泉は小奇麗な宿泊施設に風呂が2つ設けられていたがその1つはなんとビックリ、大胆にも「だいこんの湯」と命名され湯船に大根が丸々浮いている。6畳程度の広さに実に20本ほど。茎から上は袋に詰められていたがその幾つかからは茎と葉が洩れでてゴミ同然に浮いていた。初めは物珍しげに大根と共存していたホセとハドラーだったが如何にも体に臭いが沁み付きそうなところに耐えられず大人しくノーマルな露天風呂に入ることにした。2人が裸の語らいに費やした正味1時間、ずっと大根の湯にてダシを吸い取られ読書に勤しんでいた男はさてどれほどの臭いを放っただろうか。そして風呂上がり、コーヒー牛乳で乾杯しのんびりバレーのW杯に見入っていると1人の若者が験していた体脂肪測定機に興味津々。お互い覚悟を決め100円を投入したがハドラーにとっては目を疑うべき結果が。日々是運動の週末を送っているはずのホセに対して飲んだくれ本意のハドラーの方が4%も低い体脂肪12.4%を記録。明らかにおかしい。じゃあこの腹は何なんだ、と思わず自らのジンギスカンをムンズと掴むハドラー。ビール腹は計測対象外だったのだろうか、その真意は謎である。

 時刻は21時、無事宿に到着。ここでもう1人紹介せねばならぬ人物が登場する。ホセ・ハドラーとは中学時代を同厩(ホセとは育成牧場も)で過ごしたクラークがその人である。このクラークだが、今年の年始にたまたま帰厩していたハドラーと母屋の前でバッタリ数年来の再会を果たしその時聞いていた携帯の番号が縁で今回の遠征に同行することとなった。その再会以来全く連絡を取っていなかったが興味本意で電話をしてみると突然の誘いにも関わらず予想だにしなかった威勢のいい返事が返ってきた。ちょうどスティルインラブが3冠を達成して間もない頃でそれを目の当たりにしたクラークは今久々に競馬にいれ込みそうとのことだった。そこで本人の希望から当日町田での仕事を終えた後、新幹線で都落ちして駆け付ける強行プランが出来あがった。

 宿は宇都宮駅からJR日光線で2つ進んだ鹿沼駅のすぐ駅前に取っていたが到着予定までの30分間、2人ははるばるやってくる仕事上がりのクラークを少しでももてなそうと懸命の散策を試みたがその駅周辺の暗さがすべてを象徴しているかように辺りには何もなかった。ガッカリと頭を垂れきった2人の元に電車から降りたクラークがやってきた。感動の再会で気分もひと塩の一行かと思いきやなんとこの男、顔が赤い。昼のたった2杯のラーメン以降間に焼鳥の皮1枚しか挟まずがんばってきたハドラーらを尻目に新幹線で弁当とビールをひと通り平らげていたクラーク。その顔からは疲労感どころか満足の色しか覗うことはできなかった。

 もはや御託を述べる気力もなく晴れて3人となったパーティーはご当地居酒屋探しを断念し車で食料調達に旅立つことに。何もなかった駅前がウソのように国道沿いには深夜営業のスーパーから目にしたことのないチェーンのファミレスまでそこはもう光に溢れていた。地方都市とはどこもこういうものなのだろうか。ビール1ダースと相当数の物資を買い込んだ一行はようやく部屋に戻り腰を落ち着ける。札幌と同じくこの人数にしては余りある、いや、あり過ぎる広さだった。迷わず素泊りサイコーと言い放ちたい。こうして3人は思い出話に華が咲き気付いた頃にはすっかり夜が明けていた。と書きたいところだがそれほど酒が強くないと自認するクラークを置き去りに残る2人は用意したビールをあっさり飲み干すとそれから1時間後、クラークがトイレに立ち再び戻ってくるつかの間の静寂に導かれそのまま沈黙の朝を迎えるのだった。こうして前半終了のホイッスルは3時間かけて夜な夜な馳せ参じた者にとっては余りにも儚い音に聞こえたことだろう。

ギョーザのみんみん  翌朝7時。なぜか一番初めに起きたのはクラークだった。続いて目覚めたハドラーは即寝の事実を問いただししばし納得する。再び眠りに入ったクラークを置いて1人朝風呂通いのハドラーだがのんびり戻ってきても両人はまだ夢の中、東スポと栃木本を見つめる度に早く競馬に行きたいという思いが募るばかりであった。ようやく目覚めたホセを叱咤激励し前日買っておいた具多(グータ)の新味・味玉叉焼麺を無理やり含ませる頃には9時半を回り、いよいよ出陣の時を迎えた。

 天気予報はピタリと当たり、外は小雨だった。しかも最高気温が14度と好天だった前日からはなんと10度もダウン。寒いわけだ。宇都宮に来たからには是が非でもこれを食わねば、と一行は餃子店舗をリサーチし始める。ちょうど駅に隣接したデパートにあいのりする形で10時開店の「みんみん パセオ店」があったので乗り込むことに。朝イチからもうゲート入りを待ちくたびれて掛かり気味のハドラーは迷わず黒ラベルをオーダー。すでにドライバーへの遠慮という文字など何も見えていない気配だった。以前池袋の餃子スタジアムで食した宇都宮餃子は特に目立ったところもなく「たかが餃子、こんなものどこで食っても同じやで」と半ば酷評を突き付けることとなったが今回はモノが違った。やはり現場は偉大である。パリパリと音を立てる焼き立ての皮としっかり閉じ込められた肉汁の感覚に舌鼓。ホセには惨いがクラークに軽く1杯譲ると残りのビールはまさに秒殺で終わった。やや少なめのライスに餃子が6個付いて320円。また今度スタジアム行ってあげようと心に誓うハドラーだった。

 この遠征初のグルメ食に大いに満喫した一行はクラークの言葉に賛同し駅ビルでのお土産探しに奔走する。二転三転するも目当ての品はなかなか発掘できないようだったが、「あっ!!!」という声と同時に商品を手に勢いよく振り返るクラーク。この瞬間の表情と言ったらもう、共に過ごした3年間を何もかも無にするような、それほどまでに純粋なスマイルがそこにはあった。欲しかったブツとは餃子味のポップコーンのことだった。「オマエは競馬が目的で来たんじゃないのか・・・」と呆気に取られるホセとハドラー。餃子を食べた時とは比べ物にならぬほど喜びに満ち溢れていたその姿が印象的だった。

 昼前。宇都宮駅から競馬場へは車で20分ほど、止むか止まぬかわからぬ程度の霧雨など寄せ付けもせず一行は血気盛んに宇都宮競馬場への来場を果たす。競馬場での中身は後述に譲るとしてここではグルメを取り上げる。とは言っても食っていたのはほとんどハドラーのみで残る2人は食い意地の張ったヨッパライなどどこ吹く風で競馬、いやもとい、結果はどうあれ自らの予想に没頭していた。1レース終わるたびにハドラーの手には次から次へと食べ物が転がりこんできていた。鳥モモ&ポテト焼そば&鳥皮とまあこんな具合で。この200円にしては大きめなチキンがサクサク三角ポリンキーでホントに美味だった。30分間で3回トイレに駆け込むという大よそ競馬場とは思えぬ行動に終始していたハドラーだったが最終レースを迎える頃にはほぼ正常に戻りつつあった。メインレースのスポンサーが宇都宮餃子会長賞だったことから場内では餃子(来らっせ)が100円で振舞われていたがさすがに組み立て机の上でホットプレートで焼かれた餃子が店舗モノに敵うわけがない。こうしてうつのみや競馬はほのぼのと幕を閉じた。

 帰り道の車中、腹減った〜と口々に喚くホセとクラーク。「カヌ!?」と耳を疑う、独り膨張した胃に苦しむハドラーだったがこの2人は100円セールの焼そば以外昼から何も口にしていなかった事実を認識する。そこに巡ってきた一番目先のサービスエリアの名がなんと佐野SA。一行(ハドラーも含めて)はこの遠征実に4杯目となるラーメンに猛々しく挑み、そして果てたのだった。

今回の試練:一番イケてるラーメンが具多(グータ)ってどういうこと?

 


 
 ビバ!! うつのみや競馬
 

頭差で的中!  前振りがやたらと長くなってこのまま尻すぼみしそうなペースこの上ないがようやくメインの競馬の話に移る。現地に行ってみて初めて気づいたことだが「うつのみや競馬」の宇都宮はどうやらひらがなで綴るらしい。同じ北関東地域で提携を結んでいる高崎の方は「高崎けいば」とこちらは競馬をひらがなに崩している。こんなところにも苦戦が続く地方競馬の、涙ぐましい集客努力がひしひしと感じられた。うつのみや競馬は専門の競馬紙が2紙しかなく地元では見出しの色の違いで「赤」「青」と呼ばれていた。あろうことか赤が白黒の紙面だったため3人は挙って青の競馬ニュースという新聞の方に飛び付いた。皆が同じのを買ってもどうしようもないのだがやっぱりカラーがいいものだ。ただし紙面は中央競馬のそれよりひと回り小さくさらに4面しかない。遠征者にはまあよいが毎日勝負しに来る者にとってこれで500円は高いだろうに、と思わされたものである。

 コースは右回り、1周が1200mで直線が凡そ220〜240mほど。距離は手前からスタートする1300m、1400m、1500mと向こう正面から1周半を競う1900mが用意されているようだった。面白いのは1500mで、4コーナーの曲がり角に45度の角度でゲートが設置されていて普通にレースが行われていたことだった。あら、地方の右回りコースって大井だけじゃなかったのか・・・?と今になって物思う。見れば一目瞭然だがスタンドや投票所の風景は初めて行った時の大井競馬場を思わせる、まさにこれぞ地方競馬だ!と言わんばかりの荒廃したものだったにも関わらず、パドックのビジョンだけがなぜか立派だった。さすが当レースしか売らない小振りな地方競馬らしく馬がパドックを周回し始めてからの5分ほどは普通に複勝の合計票数が0だったりするから面白い。

 4RはW.Cに引き篭もり過ぎて間に合わず、初めて買った5Rが早速2-3着。その名前につられて単勝にも手を出さざるを得なかったムサシボーイベンケはきっちりと2着をキープ。しかも圧倒的一番人気で(1.2倍?)。どこに行っても結果は同じだといきなり洗礼を浴びることに。それにしても「イ」の位置が違うだろと誰もが思うこの馬名だが父コンサートボーイから文字ったものと想像される。

 続く6Rを外すとここから充実の売店通い攻勢が始まることとなった。ビールと食料で常時両手が塞がっているため、まもなくしてほとんど機能していなかった新聞を鞄に仕舞いこむことに。毎レース終了後に決まってビールを買いにくるこの男を見てバイトの女の子は何を思ったことだろう。普段であればそれがゲームオーバーへの狼煙となるはずだったが、勝手が違う今回はそれが逆に幸いしたようだ。頭数も揃い力が拮抗している中央や大井の平場戦とは異なり馬のレベル差が格段にはっきり分かれるこのクラスの競馬はパドックでマジマジと見ているだけでその良し悪しが確実に判断できるのだった。新聞も人気も何ら気にせず自らの感覚を頼りに「ここぞ勝負の時」と準メインレースに大枚をはたいた。そして的中。上記掲載のゴール前写真を撮っていたので直線は見ていないが2着馬が差してきて頭差届いたところがゴールだったようだ。写真判定を経てヨッパライからは会心のガッツポーズまで飛び出した。そしてそのままトイレに直行した。

 と、これにて大団円となれば何よりのハッピーだったのだがそう簡単には胴元が離してくれない。誘惑に駆られたままこの日の最終・メインレースに突入することとなった。いみじくもその急造したパドック理論を自らが証明するかのようにそれ相応の粒が揃った北関東G2・とちぎスプリンターズ天馬杯は甲乙付け難い出来に惑わされ、そして外した。酒が廻ったか、幻惑していたからかもしれないが横の比較ができなかった。勝ったのは一番人気で地元のHPにもスター候補として紹介されているトウショウゼウス。見事5馬身離しての快勝だった。おそらく次走は同コース同距離で行われる来月の栃木マロニエカップに出てくるはずで相手にはならないだろうがこの勝利に立ち会った者としてちょっと楽しみなところではある。

 うつのみやの最終は終わったがレースはまだ残っていた。場外発売をしていた北見のばんえい菊花賞がそれだった。無料で配付されていた当レースの競馬新聞を手にして参戦することに。ばんえい競馬など過去に買った覚えがない。距離200mというのがまず笑いを誘った。そして馬体重の発表。当たり前だが全9頭中6頭が1t(トン)を超えていたことにまた笑った。レースがこれまた面白かった。恒例の坂を2つ越えるコースだがいざ馬券を手に応援する側となるとどう声を上げればいいのかわからない。「行け!」ならまだしも2つ目の大坂を登る辺りにはバテて身動きのとれない各馬に発する言葉は「動けっ!動けっ!」になっていた。勝ったのは牝馬のサダマユミならぬサダエリコ号。結局馬券は外したが開催終了後にも関わらずまだ結構な人が残り興味を注いでモニターに見入っていたようだしこういう試みはいいチャレンジであるなと感じた。そうこうしているうちにまた1つ、今度は上山競馬の歴史に幕が下りてしまったが地方競馬、これからもがんばってほしいものである。最後にひと言、行ってよかったっス。