食いだおれ雪まみれ鶏づくし      


 
 笠松競馬 永遠なれ
 
オグリキャップがお出迎え
オグリキャップがお出迎え

名鉄電車の車窓から見たスタンドと競馬場入口

名鉄電車の車窓から見たスタンド 競馬場入口

馬場内に設けられたパドック
馬場内に設けられたパドック

ライデンリーダー初仔・ピルサドリーダー
ライデンリーダー初仔・ピルサドリーダー

4コーナーの攻防
4コーナーの攻防

 

 
 3月なのに・・・吹雪舞う阪神競馬
 
パドックとゴール板
パドック ゴール板

ゴール前 仁川スカイハイツもきっちりと
ゴール前 仁川スカイハイツもきっちりと

チューリップ賞パドック
スイープトウショウ ヤマニンシュクル
メイショウオスカル アズマサンダース

 

 
 腹八分
 
ひつまぶし日本一弁当と道頓堀で食らう鍋焼きうどん
ひつまぶし日本一弁当 道頓堀で食らう鍋焼きうどん

 あれから早一年が過ぎようとしている。毎度草野球を興じているるんたか・《を》両氏と共に笠松競馬に行こうという話が浮上したのが昨冬(2004年3月)のこと。せっかくだからと一泊した翌日は土曜の中央競馬で、開催中だった阪神・中京両競馬場から自らの進言でチューリップ賞当日の阪神に攻め入ることが決まった。しかし今回の遠征は競馬よりもただただ食に始まり食に燃え尽きた二日間となるのだった。

 ざっと当ツアーのアラカルトを振り返る。朝JR東京駅新幹線口で買った鶏づくし弁当からすべてが始まる。鳥インフルエンザで揺れていた時節だったのだがお構いなし。数ある駅弁の中から3品に絞った選択肢の残りが、鹿児島地鶏弁当とそぼろ弁当だったのだから目も当てられない。
 車内。この日は今はなきEOS Kissデジタルの初遠征を兼ねていたため「自分、今日は飲まないっスからね」と猛々しく宣言したのもつかの間、座席トレー上に缶を侍らせる隣2人の勇敢な姿に魅せられあっさりと陥落した。
 新幹線での鶏づくしが響いたのか、笠松競馬場着後まもなくして突然の腹痛に襲われ個室に長々と立て篭もるはめに。レースを観にきたはずなのにるんたかと《を》の方もスタンドを境にした馬場とは反対側の出店の前でビールともつばかりつついている。そんな体たらくに文句を言いながらもあらかじめ人数分揃えられていた中生と串を喜び勇んでむさぼり食う。
 レース後、場所を名古屋の駅ビルに移して反省会。コーチン、なべやまぐろ&ブリのカマなどがてんこ盛り。ウマい。
 宿のある大阪まで新幹線。移動の友は名古屋といえばもちろん外せないひつまぶし。専門店に寄る時間はないので駅弁で済ます。すでに胃がKO寸前だったが「味を変えればイケるかも」と、途中駅での停車中にキヨスクに走りお茶を購入。しかしこれが誤算。ぬるい茶は完食へのハードルをただただ高くしてくれた。
 ホテル着。一旦解散で個室に入るなり、胃の内容物を迷わず一気に解放。部屋の壁が薄かったのか、あとで「音が漏れて聞こえてきた」と《を》から苦情をもらうことしきり。
 翌日阪神競馬場。前日の慎ましさが一変、席を確保したとたんに吉牛とビア買いに走る。まだ1R発走前。2Rの前には装備品が吉牛から焼きそばへと変わっていた。その後レース終了ごとに一杯と一品が追加されていった午前中。レース後、前夜は何も味わい仕舞いだった道頓堀へ経験者・るんたかに引き連れられ再度見参。鍋焼きうどんを食べ、その後焼き鳥屋でレアな品々との対面を詠い、お土産のたこ焼きに沸いた最後の夜だった。
 帰りの新幹線。締めに駅弁、これでもかとばかりに赤飯弁当を選んだのはやっぱりミスマッチだったなぁ・・・

 2つ目のエピソードは初夜の道頓堀からお届け。前日徹夜明けでの参加が堪えたのか、ホテルの自室に篭るなり音沙汰のなくなったるんたかを置いて、ワイと《を》がフラリと夜の街に繰り出したときの話。ひと目でそれとわかるネオン通りを横切ると次から次へと呼び込みの嵐に見舞われた。その中で一際気を引いたセリフがこれ。
「兄さん兄さん、ウチのはスゴいよ〜。なんたって○首からマイナスイオンが出てるからねぇ♪もう癒されること間違いなし!ほかとはサービスが違うよ」
あまりのネタの切れ味に「入ってみてもいいかも」と思う輩もいるんではなかろうか。当のわれわれもその場で爆笑して妙に和んでしまったものである。

 最後は阪神競馬場から。血気盛んだった午前の部が終わり、午後一番は待ちに待った芝レース。昼休みのうちに場所キープをと誰もいなくなったゴール板前の隙間に潜り込むことに成功。しかしまもなく、つい先ほどまでガラス越しに見えていた底抜けの青空が一転、六甲山から大挙して舞い降りた"ド"グレーな雲に染まってしまった。風が一際冷たく吹きすさぶ。それから5分と経たぬうちに馬場には白い来訪者が姿を現し、そして程なくして猛吹雪と化した。「なんで3月なのにこんな目に・・・」。せっかくキープしたスペースを手放すことはできんとただひたすら耐え忍ぶ。なんとか凍り付きながらも撮影をこなす。そしてお役御免と席に戻ってみると、なんとまあ雲が晴れて陽が差してくるではないか!なんたる嫌がらせ。ひと呼吸置きまた芝レースの直前に進出を試みたのだが、その動きに吸い寄せられるように毒雲が舞い降りて・・・この繰り返し。結局晴れ間の中で行われたチューリップ賞はガラス越しでの観戦となったのだった。

 笠松・阪神二日間合わせて5レースくらいしか馬券を買っていないと思う。笠松も少々、阪神でも堅かったチューリップ賞を的中させてはいるのだが馬券の記憶がほとんど残ってない。翌日中山・弥生賞出陣プランはたしか体調不良で断念したのだった。今回は特に乱筆だが、これにておしまい。