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逆境ウイン 〜 ウインアンセム戦記 vol.1 〜
 
越後の太陽が天敵⇒バイ男
2005/07/30 (Sat)
ウインアンセム

 7/30新潟6R。昨春のミッドウェイファーム見学ツアー以来の対面であり競馬モードのウインアンセムとの初顔合わせはこちらが仮想していた思惑とは180度異なる形で始まった。奇しくもアンセムの収まった枠は1枠1番。新潟競馬場のオッズ掲示板の脇に設けられた、パドックへと進入する通路から一番最初に現れるであろう馬は、大よそまともに舵を取れる状態になく、頭の天辺から喉の裏側までも見せながらロデオのように頭を上下に振り振り尻っぱねでもしながら入ってくるものだとばかり思っていた。

「大丈夫。あれは気合いの表れなんだよ」

 遠路遥々訪れた自らの心を平常に保つためにそれを誤魔化すセリフさえ事前に用意してもいた。しかし実際目にした愛馬はこれだけの人間に囲まれるのが初めての体験にも関わらず他の経験馬17頭のどの馬よりもおとなしかった。"大人しい"よりも"音無しい"という変換がマッチするほど気配がなかった。まさに借りてきた猫、いや、見知らぬ人々の輪の中に放り込まれた時の私のように。あの、目に入る物(者)すべてに今にも噛み付かんばかりの威圧感を放っていた1年半前のギラギラした獰猛さは大事な大事な2つの宝物と一緒にどこかに置き忘れてしまったかのようだった。実際そうだったのかもしれない。

 そして気掛かりだったのは体調面だけではなかった。我々はこのスペシャルウィーク産駒の前脚に注目していた。

『古くからある左前の腫れは入厩当初と比べて半分ぐらいにへっこんでるし、右の腫れなんかは、もうスッキリしちゃったもんだよ。』 by ウインアンセム 7/29調教メールより抜粋

 本当に走れる状態にあるのかどうか、腫れ具合がわかるというならそれをこの目で確認してやろうとの目論見だった。だがアンセムの両前脚にはやや深みがかった緑色のバンテージがしっかりと巻かれていた。いや、バンテージというよりも内側の腱の部分を確実に保護するために、プラスチックかカーボンのような何らかの素材で患部を腱に沿って縦長に覆う補強の目的も兼ねたプロテクターのようにさえ見受けられた。

「あんなの見たことないぞ・・・」


 待ち焦がれた愛馬への期待と拠りどころのない不安。

 未出走ということは100%プラス思考で言い換えれば、負け知らずということ。レース経験のある他馬はすでに敗戦を繰り返している経歴をそれぞれが持っていた。それも大敗続きの馬が半数以上を占めている。

「あわよくば勝てるんじゃないか」

 血統面から見ても掟破りと言わざるを得ない新潟芝1000m、いわゆる"直千"への挑戦、そしてコース追いができない、目一杯に追えないという調教での圧倒的なマイナス点。しかしそれらを差し引いても、出たら何とかなるかも、という希望的観測が漲っていた。まるでレースが近づくにつれて買った馬券が自分の中で(だけ)確勝に違いないとの慢心が徐々に深くなっていくように、デビュー戦勝ちの野望は刻々と膨らんでいっていた。

 しかし、積み重ねた根拠のない自信は自身の猜疑心によりあっさりと掻き消されることになる。

「あの落ち着きが去勢した効果なんだ」
「万が一に備えて過剰にケアしているに過ぎないんだ」

 "現実"に直面し動揺を隠しきれない心を、もはや虚勢を張ることで払拭するしかなかった。パドックを周回する愛馬に温かい視線を送りながらも、過去の幾多のレースで目にしてきた着順「−」というイヤなイメージだけが思い浮かんでは次々と通り過ぎていく。

「無事に完走だけはしてくれ」

 結局それはアンセムが故障でどんな大志をも抱けなかった状態のときに切に願っていたものと同レベルに落着していた。こんな怪我をしてしまったのだからひとまずデビューさえしてくれればよい、とだけ。



≪パドック≫





 地下馬道を経て本馬場に姿を現した出走馬。塚田騎手ともどもコンビの両方がどこかよそよそしく、内ラチぴったりに寄り添ったまま他馬の邪魔をしないようにと遠慮をしているようにも見える。さて、見どころはまともな返し馬ができるのかどうかだった。近くに漂っていた馬がアンセムの先を越していき周りに障害がないことを確認すると、いよいよアンセムも動き出した。手綱から伝わる塚田騎手の合図に応え、一完歩ずつ歩幅を大きくしていく。慣らし運転はほんの軽いもので筋肉の躍動感もそれほど伝わってくるわけではない。しかし"初めての芝"を気持ちよさそうに助走していたのは確かだった。

 揺れるこちらの心理をよそに、発走の時間は刻一刻と迫ってきていた。単勝オッズはパドック入り前には21倍を前後していたものがなんと43倍にまでも高騰している。出資馬というフィルターを外した市場期待値の急激な下落、それが何よりもこの日のアンセムの出来を物語っていたように思う。



≪本馬場入場≫



 時は来た。普段はグリーンチャンネルを通してしか耳にすることのない冗長な新潟平場のファンファーレが流れる中、アンセムはどの馬よりも早くゲートへと促がされていく。あのパドックの状態からしてゲート入りを嫌がり突如暴れるような情景は思い描けなかった。ゲート試験を一発で受かった理由も肯けるほどすんなりと、そして大人しく精神を圧迫する初めての"個室"に収まっている。

 全馬枠入り完了、ガッシャンとゲートが開いた。坂のないコースの1km先は肉眼でギリギリ見えるかどうかというとても際どい位置にある。我々3人は方や直接、方やターフビジョンで、そして私はファインダー越しにアンセムの発馬の様子を窺っていた。

「お、ちゃんと出た!」

 直千での出遅れはそれだけで致命的。まずは第一関門クリアと無難な立ち上がりにほっと胸を撫で下ろす。しかし次の瞬間、我々はそれぞれの両の眼を疑う不自然な光景を目の当たりにする。順調なスタートをきってさあこれからというアンセムの姿が突然隣の馬に比べて極端に小さくなったのだ。

「あぁっ!!」

 まるでバックトラッシュでもしたかのように後方に下がったアンセム。故障か!との思いも頭を過ぎったが、前を行く他馬に視界を遮られ確認し辛いとはいうものの、何事もなく駆け続けているようにも見える。「なんだなんだ?ただテンの速さに付いていけなかっただけなのか?」とゴール前で不可思議に言い合っている間にもレースは進み、新潟直千の鉄則・外ラチキープを目標に内枠の人気馬が問答無用に幅寄せを開始していた。すでにターフビジョン上にもアンセムの姿はほとんど映らない。

 あの分でいくと相当差が離れてしまっているなぁと私はとりあえずレースのV写真を撮っておくため、見えない愛馬からターゲットを変え馬群の先頭にカメラを向けていた。アンセムを撮るためにはまだまだ十分な時間が残っているように思えたからだ。しかし勝ち馬と上位入線馬が通過してすぐ隣から叫び声が耳に飛び込んでくる。

「来たぞ来たぞ来たぞ!!!」

 私の予測より全然早くにアンセムは我々の元にやってきた(失礼)。それも写真を撮るにしては絶好とも言える広い馬場の中央をただ一騎で疾走している。「直線コースの内枠じゃ他馬が邪魔でうまく撮れないよ」と苦言を洩らしていた専属カメラマンもこれでは何も文句を言えない。迫るシャッターチャンスに焦りまくりながらもアングルを切り替え、フォーカスを合わせ連写した。結果は神のみぞ知る・・・



≪独走≫
独走


 出走18頭中18着。走破タイム0.58.5、上がり3ハロン34.0、勝ち馬との着差3.0秒。これがウインアンセムが残したデビュー戦の記録になる。他のアンセムの出資者の方々には申し訳ないが、初めて出資した馬が故障を抱えながらも一応入線を果たしたという事実は私にとってはショッキングな事由とはならなかった。鬼門とされた最内枠も勝つためには不利なことしかない最低なハンデだったが、皮肉にも何事もなく穏便に初出走の"儀式"を終えるという意味では他馬に進路を妨げられることも接触の危険に曝されることもない最適な条件だったように思う。陣営の手腕を信じてこの経験を次に活かせるのなら、今はあえて不満は口にしまい。

 著作権法上転載することはできないが、翌週の競馬ブック・レース結果欄に載せられたゴール前の白黒写真にて。勝ち馬以下が眼前を通り過ぎているにも関わらず、それにはまるで見向きもせずただただ後ろの動向だけを気にして背伸びしながら待っている3人と1台の望遠カメラが妙に微笑ましかったものである。



≪クールダウン≫



 初めて出資した馬は、気性難だった。トレセンに見学に行った日は風邪を引いて調教を休んでいた。そして脚を痛め、去勢手術もされた。こうして七転八倒を経て挑んだデビュー戦が最下位というここまでのプロセス。もう上にあがるしか進むべき道はない。アンセムの戦いはまだ始まったばかりだ(よね?)。

 


おまけ
 
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≪レースシーン≫




 

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